2005年 01月 19日 (水)
ザオ・ウーキー展
展覧会自体はもう終了しましたが、いろいろ刺激を受けたので感想を載せたいと思います。
ザオ・ウーキー(趙無極)は1950年ころから現在に至るまでフランス画壇で活躍している洋画家です。 いろいろ作風を変えていますが、いずれもサービス精神旺盛な印象を感じました。 油絵のいいところを発見、探求し、見せるところまでできる画家です。 中でも抽象画(アンフォルメル)でありながら風景画のような空間を感じさせる70年代の作品が気に入りました。
初期の作品でいいのは「パウル・クレーのようだ。」と安易に表現されてしまう淡い色彩に線で描かれた作品群です。 濃い色の下地に淡い色を重ねて画布のマチエールを引き出し、そこに刻み込むかのように残される線画。 実に技巧的で間違いなく魅力的です。 こういうものを追求して実現し、魅せるという職人っぽさを僕は見習いたいです。
しかし、誰かに似ているというのを潔しとしないのが芸術家です。 彼もオリジナリティーを出すために自らのルーツ、中国の甲骨文字に着想を得たようです。 クレーの影響を脱するかのような強い色の画面に甲骨文字的記号を躍らせます。 僕にはこのあたりの作品はちょっと苦しそうに見えました。
甲骨文字も意味を付された記号であり、それを作って意味を付したのは現代で言えば芸術家のような人たちだったのではないか。というようなことをウーキーは言っています。 芸術家は自分の記号、意味を持った言葉を発明しなければならない、と。
なにはともあれ、60年代に入れば「アンフォルメル」という大きな流れができますので、それに乗って楽できるようになったのでしょう。
原色一色に白、黒を用いて、大きな筆による滑らかなグラデーションから、筆跡を残す荒いタッチ、こすりつけるかのような筆跡などをひとつの画面に盛り込み、近くから見ても遠くから見ても面白い、ある種技巧的な作品を作るようになります。
やはり職人です。この人は。
そして70年代はアンフォルメルの画面に風景画的な奥行きをもつ作品群です。 「なるほど!」と激しく納得してしまいました。 タッチにより描き分けられた近景と遠景、光を暗示するかのような白の用い方。 水墨画的だといっても良いでしょう。 同時に油絵の良いところを知り尽くしている描き方です。 流れに完全にマッチしていますし、それを抜きにしても単純に魅力的です。 僕もこういうものを描きたいと切に願います。
これ以降も奥行きのある抽象表現に加えオマージュのシリーズなど精力的に製作を続けています。 まだ画家自身が生きているので最近のものに関してはあまり言うことがありません。 過去20年分くらいの業績に関してはは築き上げることも打ち壊すこともできますから。
- Zao Wou Ki recent works
- ザオ・ウーキーの最近の作品を見られる。
- The National Museum association's photographic agency
- フランス国立美術館のデータベース
ザオ・ウーキの作品を見られる。 - Zao Wou-ki on the web
- フランスの巨匠概要
ザオ・ウーキーの作品を見られる。
こんにちわ。齋藤さんの美術評論はかっこいいですね。特に“過去20年分くらいの業績に関しては築き上げることも打ち壊すこともできますから。”という言葉に激しく勇気づけられました。 このザオ・ウーキーさんの作品にわたしも惹かれました。抽象画的風景画というのはとっても素敵ですね!作風が職人っぽいって、納得です。ところで以前から、疑問に思っていたのですけど、アーティストというのと職人的であるというのは、どのような違いが、あるいは、類似があるのでしょうか・・・?生き方がちがうのでしょうか・・・?
>さざんかもしくはつばきさん。コメントありがとうございます(^o^)。
アーティストと職人…。アートという言葉自体「技法」と訳されることもあるので、語義としては職人に近いと思っています。一方で、何か伝えたいものがあって作品を作る、いわゆる芸術家肌の作家は、職人とはちょっと違います。
芸術家は自分のためあるいは伝えたい何かのためだけに作品を作りますが、職人は作品を所有する人、見る人、あるいはそれにかかわるすべての人のために作品を作るのだと思います。極端に言えば、芸術家は苦しみながら善いものをひねり出し、職人は楽しみながら良いものを生み出すのです。
僕はどちらかというと職人になろうとしています。
